西宮市の「神祇官町・芦原町」ってどんな街?
目次:【西宮市の「神祇官町・芦原町」ってどんな街?】
西宮市の「神祇官町」【ジンギカンチョウ】と呼ぶこの町名は、とても興味深く、古代からの歴史を感じます。そのそばにある「芦原町」の町名にも由来がありそうです。この二つの街がどんなふうに発展してきたのか、そして町名の由来はなんでしょうか?
(にしのみやデジタルアーカイブ、町名の由来を参照させていただきました。)
神祇官町の歴史と町名の由来
神祇官町は、古代日本の宗教行政を司った「神祇官」に由来する町です。神祇官とは1300年以上も昔に始まり、明治初めまで朝廷に置かれていた役所の名称です。古代は政治と宗教が密接にかかわっていて、この宗教に関する重要な政策や諸国の神社を統括する役目でした。
神祇官の長官職は、平安時代中頃に世襲制になり、代替わりの際に広田神社や西宮神社に参詣しました。その時に長官を接待する費用をまかなった田んぼが神祇官田と呼ばれ、その田んぼがあった一帯が後に字神祇官となり、神祇官町となりました。
芦原町の歴史と町名の由来
芦原町のあたりは、奈良時代以前は「津門の入海」と呼ばれた入海になっていました。
現在の阪急電車の線路を超えるあたりまで入り込んでいたと考えられているそうで、芦原町のすぐそばまで波打ち際がせまっていたと想像されています。
この入海には当時、東川や津門川だけでなく夙川も流れ込んでいたようです。
上流から運ばれた土砂が堆積して徐々に陸地化しましたが、窪地のような状態で水が溜まりやすかったため、そこに流れ込んでいる東川や津門川が度々氾濫しました。
こうした氾濫を繰り返した湿地帯に別名:芝と呼ばれる雑草や葦(芦、アシ)が生い茂っていました。
それでこの地域は芝村や芦原という字名で呼ばれるようになりました。
昭和8年に芝村と西宮市が合併し、字芦原が芦原町になりました。
神祇官町と芦原町の今
現在、神祇官町と芦原町は、古代からの歴史を受け継ぎながら、地域の発展とともに現代的な要素も加わったエリアに発展しています。
神祇官町にあった旧芦原小学校は、昭和58年に瓦木小学校の西側校区を分割統合し深津小学校ができたことにより、110年の歴史に幕を閉じ廃校になりました。
跡地の校舎や体育館は、総合教育センターや西宮スポーツセンター中央体育館分館となり、地域においてこれまで担ってきた地域活動や災害時の避難場所等として重要な役割を持っています。
また、芦原町には平成15年にみやっこキッズパークが完成しました。
都会の真ん中にある自然豊かで素朴な公園です。
土管や木製遊具、どろんこ池やビオトープ池、田んぼもあり、自然豊かな環境で子供たちが五感を育む遊び場として親しまれています。
神祇官町と芦原町の学校区
神祇官町 深津小学校・深津中学校
芦原町1~3番・5~11番 深津小学校・深津中学校
芦原町4番 平木小学校・平木中学校